珠玉

「詩人に憂いはつきものかも知れないが、あの雲雀(ひばり)を聞く心持になれば微塵の苦もない。


菜の花を見ても、ただうれしくて胸が躍るばかりだ。蒲公英(たんぽぽ)もその通り、桜も――桜はいつか見えなくなった。


こう山の中へ来て自然の景物に接すれば、見るものも聞くものも面白い。面白いだけで別段の苦しみも起らぬ。起るとすれば足がくたびれて、旨いものが食べられぬくらいの事だろう。


しかし苦しみのないのはなぜだろう。


ただこの景色を一幅(ぷく)の画として観、一巻の詩として読むからである。画であり詩である以上は地面を貰って、開拓する気にもならねば、鉄道をかけて一儲けする了見も起らぬ。


ただこの景色が――腹の足しにもならぬ、月給の補いにもならぬこの景色が景色としてのみ、余が心を楽ませつつあるから苦労も心配も伴わぬのだろう。


自然の力はここにおいて尊(たっと)い。吾人の性情を瞬刻に陶冶(とうや)して醇乎(じゅんこ)として醇なる詩境に入らしむるのは自然である。(夏目漱石「草枕」より抜粋)」



ここ最近一番の愛読書である草枕の中でも、特に気に入っている一節だ。



解禁直後のタイミングで納車されたMURAのジムニーに乗って、かなり荒れた林道をひた走る。


先週、あてにしていたダムは魚が皆無だったし、折角の機会でもあるから、昨年1人で行った渓流に2人でMayden Voyageとキメこんだ。


「まぁまぁの道ですね~。」


「ジムニーだから余裕でしょ。俺、去年は1人で(普通車で)ココ行ったんだよ。」


「よく来ましたね。車大変だったでしょう?」


「こんなとこに来ると、釣りが終わって、帰ってきたときにはいっつも車が怒ってるように見えるんだよ。」


ようやく目的地にたどり着き、車を降り、腰を伸ばして脇を見ると、何故だかジムニーは誇らしげな顔をしているように見えた。



入渓してしばらくは思わしくない時間が続く。


おそらくは放流など何年も行われていない場所だから覚悟はしていたのだが、たまに相手をしてくれるのは3~5寸と何ともさびしい状況。


去年も型こそ出なかったけど、7~8寸がボチボチと遊んでくれて、それ以下のおチビちゃんたちは数多く釣れた。


「川、変えようか。。。」


朝来た林道をUターンして別の川に行くのはかなりおっくうだったが、この状況ではやむを得ない。そう思って、


「あのカーブを曲がって、しばらくやってダメだったら、○○川に行こうか。」


と伝え、私のAnglo&Conmanyパラゴン493をしならせ、同じくアングロの新しいHOBO50Sを落ち込みに打ち込む。


以前習ったようにレーンを外すことなく、軽くトゥイッチを加え、水平フォールを数秒。



「カッ。」

明確なバイトが手元に伝わる。

バシャバシャと水面をかき混ぜるその姿が見える。



「おぉ!赤いよ!コレ、赤い!」


大声を上げてそう伝えた。


写真を撮るまでに、何故かその鮮やかで深い赤色は少しあせてしまったが、それでも十分美しい。


大きさこそちょうど8寸だったが、何よりこの色が見たくてここまで来たのだ。


去年もこの場所でそれはそれは美しい、照葉樹林の精霊と出会えた。一年ぶりの感動。


大事に大事に、グロッキーにならないように、気を遣いながら写真を撮り、元の流れに返す。



ところで、この日MURAにはもう一つ、初おろしがあった。


それは、ロッド。


アングロのimp、5.1フィートがジムニーと同じタイミングで彼の元に届いていた。


ウッドも、スレッドも彼自身で選んだもの。

どうにかこの日美しいヤマメで入魂して欲しいという気持ちが私の中にも湧いていた。


11時になり、高巻きが必要な滝が目の前に現れる。


沢の水でお湯を沸かして、カップラーメンを食べながら、

「あれを超えたら、パラダイス、だといいねえ。」

こんな毎度毎回おなじみの会話を交わしたのを覚えている。

果たして。


「!!」


滝上からしばらく歩いたシェード絡みのポイント、彼のミノーの先でローリングする魚体を見て、全身に軽く電気が走った。

早春のまだ色が少ない渓で閃くそれは、周りに比べてあまりに不釣り合いな鮮やかさを放ち、なんだか一瞬、釣ってはいけないモノのような、そんな気すらした。

ランディングして浅瀬に横たえ、2人して声にならないうめきを上げ、しばらく経って、握手を交わした。

「やったね!」


「やりましたよ!」


ぬらりとした強いヌメリが放つ光沢を全身にまとい、濃い朱色に彩られながら、その腹の部分はまるでグラスに注がれたウイスキーのようにゆるく輝く琥珀色をしている。

昨年私が釣った個体も、とんでもなく深く、美しい色彩だったが、これほどではなかった。

まさしくジムニーとimp入魂の一尾にふさわしい出会いだったと思う。

十分に写真を撮り、眺め、心の印画紙にその姿態を焼き付ける。


リリースされ、もとの流れに帰る後ろ姿からは、朱色の残光が伸びていた。


その後、MURAはもう一尾、泣き尺を追加。


ヤマメが薄いこの渓では十分な釣果だった。


再度握手した彼の手は、さっきより少し分厚くなったように感じられ、強く握られた私の右手は少し痛みを訴えた。


帰りの道中、谷中にあふれる荘厳な原生林を眺めながら、冒頭書いた草枕の一節を1人思い出していた。

迫る夕暮がうらめしい。

下界が少しうとましい。

また電磁波の洪水にあぶられる現実に戻らなけばならない。

今釣りが終わったばかりなのに、もう次の釣行に胸を踊らせながら語り合う。

水と緑が織りなす景色を一幅(ぷく)の画として観、

浅瀬に横たえた深山の精霊に一巻の詩を詠む。

想いが沁みついた道具たちはこんな時間の数々を封じ込めた心の記録だ。

次はどこに、どんな詩境に。

林道のそばで薄く咲き始めた山桜を撮りながら、そう感じていた。



Angler's lullaby

アングラーズララバイ ~ 釣り師の子守歌 〜