色のない夢
「"令和"、かあ。悪くないな。凛として、涼しげで、いいな。」
ふと昭和を振り返る。
こんなことしていたのは、私以外にはそうそういないだろうと思っていたら、とある友人も、やっぱり小さい頃は一人で小川の岸辺に丸く石を並べて池を作り、外界から遮断された自分だけの聖域の中で葉っぱやドングリなんかを浮かべて遊んでいたそうだ。
昭和が終わった瞬間のことも鮮明に覚えている。
ただ、ザワザワと落ち着かない時代の空気だけをボンヤリと感じていた。
平成元年に18歳になり、一人暮らしを始めた私にとって、平成という時代はそのまま大人に成長するための修行時代だった。
ところが、人生そう簡単には行かないものだ。
何故か私が卒業する直前に泡は突如弾け、それが何だかとても悪いニュースとして連日報道された。
社会人になってから今まで、まるで源流の清らかでうららかな流れに浸されるような喜びや、時にはドブ川に首根っこをつかまれて顔を突っ込まれるような苦しみも味わってきたが、それらも今となっては全て大切な経験だったと思える。
今上陛下と皇后陛下には一度だけお会いしたことがある。
10年くらい前だったか、新潟駅の新幹線ホームで赤じゅうたんの上を仲良く、いつもテレビで拝見するあの笑顔で手を振りながら歩かれていた。
思いがけない出来事だったが、何とも言えないオーラに心がジンと温かくなったのを今でも覚えている。
30年以上に渡り、国民のために激務といっていいご公務を全うされてきたことに、心から感謝を申し上げたい。
このサイトで政治や宗教のことを書くつもりはなかったが、やはりこの国に生まれ、育った一人として、天皇制はとても大切なものだと思っている。
もちろん人によって、その捉え方、感じ方は様々だと思うが、何より大切なことは、我々の先祖代々、天皇家を大切にし、なくすことをしてこなかったという事実。
歴史上どんな国でも、民衆が蜂起すれば、栄華を誇った王朝が倒れ、巨大だった政治体制は転換してきた。そんな中、日本の天皇家だけは少なくとも1700年以上、脈々と続いてきたのだ。
この年数は世界的に見ても飛び抜けて長い歴史であり、日本は世界最古の国家として認められている。
今に生きる私たちが、先祖の方々がどんな想いで皇室と向き合い続けてきたのかということをたまに立ち止まって考え、感じてみることも悪くない。
ま、でも、九州の片田舎に住む一人の平凡な平民に過ぎない私は、これからも変わらず平日はせっせと働いて、時折週末のフィールドを妄想しながら、生きていくんだろうな。
相変わらず、源流にヤマメ釣りに出かけたり、先生と一緒にイワナの調査に行ったりする日々の中で、過ぎゆく平成と、やがて訪れる令和の時代を、こんな風にボンヤリと考えていた。
もしかすると幼い頃、一人遊びしていた時のような風景を求めているのだろうか。
トラウトフィッシングに没頭している自分を客観的に見てみると、言葉に出来ない感興がふわっと浮かんでくる。またそれは年を取れば取るほど、高まってくるような気がしている。
そして時代が令和に変わっても、もう少しこのまま運命的な出会いを、まるで掴むとすぐに消えてしまう、色のない夢のような時間を求めて生きていきたい。
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