非人情について
「余は明らかに何事をも考えておらぬ。またはたしかに何物をも見ておらぬ。
わが意識の舞台に著るしき色彩をもって動くものがないから、われはいかなる事物に同化したとも云えぬ。
されどもわれは動いている。世の中に動いてもおらぬ、世の外にも動いておらぬ。ただ何となく動いている。
花に動くにもあらず、鳥に動くにもあらず、人間に対して動くにもあらず、ただ恍惚と動いている。
しいて説明せよと云わるるならば、余が心はただ春と共に動いていると云いたい。
普通の同化には刺激がある。刺激があればこそ、愉快であろう。
余の同化には、何と同化したか不分明であるから、毫(ごう)も刺激がない。刺激がないから、窈然(ようぜん)として名状しがたい楽しみがある。
目に見えぬ幾尋(いくひろ)の底を、大陸から大陸まで動いている広洋(こうよう)たる蒼海(そうかい)の有様と形容する事が出来る。ただそれほどに活力がないばかりだ。しかしそこにかえって幸福がある~。」
今まで何回も何回も読んできたこの一節。
最初の頃は言葉が難しくて巻末の注釈と見比べながらエッチラオッチラだったけど、今ではパノラマのように景色が頭の中をめぐる。
僕は確かにアングラーなのだけど、本当に欲しいものはこんな景色だ。
漱石の言う非人情とは、薄情ではなく、感情にわずらわされない様子だ。物事に執着しないこと。ムキにならないこと。
この年末年始は最悪だった。
急な目まいで丸1日寝込んだかと思えば、大晦日から元旦にかけては、腰痛と止まらない咳(せき)で一睡も出来なかった。
何とかそれ以降は無事に過ごせたけど、こんなのは生まれて初めて。
それなのに1月3日。恒例の初釣りには行くんだから、ほとほと釣りナントカだ。
ヤマメ禁漁から4ヶ月。何となく想像はしていたけど、未だにノーフィッシュ。結果だけ見れば最悪。どこからどう見ても最悪である。
だけど、僕はもう随分前から普通に釣りをするだけではきっと物足りなくなっている。
また、どうしてだかこんな最悪な年に限ってトラウトアングラーがとても多い気がする。
今はみんなが集まって、めいめい巡礼者のように祈るようなキャスティングをするのもいいと思うことにしよう。
閑話休題。
今年もやっぱり、非人情を追い求めるのに欠かせないパートナーは、コイツ。
あんまり釣れないもんだから、この車の主は中でお昼寝中。
写し鏡のラビリンスを覗き込んでみたり、
そして、秘湯を訪れたり。
ココ。とある時間帯を狙ってくれば、ほぼ間違いなく、プライベート空間。
浴室にGRを持ち込むなんてヤンチャも出来る。(ホント、申し訳ありません。)
お金払う時は、ご自宅を訪ねて、ご夫婦を探さないといけないのです。
使い道が分からない、昭和の蛇口。
ワビしい脱衣場にサビた鏡。
体調も戻って、なんだかんだ僕はきっと幸せなのだろう。
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