冬枯れのララバイ

正月に実家に帰った。


年末年始の喧噪の中、小さい頃自分の部屋だった2階の四畳半に飾ってある1枚の絵画が目に留まる。


そこでふと、合点がいったことがあった。長年のぼんやりとした疑問が急にはっきりと溶けた。


私はレインボートラウト、つまりニジマスが大好きだ。もちろんこの魚はほぼ日本全国、放流されたものしかいなくて、日本にいた歴史は長いにせよ厳密に言えば外来魚だ。ここ九州で言うと、昔から土地に根ざすヤマメとは違う。


ターゲットとしての人気も、少なくともこの九州ではヤマメの方が上で、ニジマスはたまたま釣れてしまうトラウト、くらいの扱いを受けていたりする。


にもかかわらず、なぜか私はレインボーに強く惹かれている。その理由がイマイチよく分からなかった。


それは多分きっとあのマンガ、「釣りキチ三平」に描かれていたガルシア・コノロンにミッチェルを装着した三平と、スプーンをくわえながらファイトするレインボーの美しいジャンプシーンがルーツだと思っていたけれど、そうではなかった。


実はルーツは、この一枚の絵だった。昭和55年に親父が釣った1匹。


親父は色々と多趣味だったが、中でも大の釣り好きで、春はヤマメ、夏はキスや青物、秋冬は根魚と、季節の折々に色んな魚を家に持って帰ってきた。


ヤマメは私も小学校からエサ釣りで連れて行ってもらっていて、とても馴染みのある魚だった。親父の後をヨチヨチとついていきながらもなんだかんだ多分1日5匹くらいは毎回釣っていたと思う。いわば身近な魚だった。


ところがある日、親父が家に持って帰ってきた魚に度肝を抜かれた。写真や魚拓は残っていないが、それはとても格好いい雄のレインボートラウトだった。


よほど嬉しかったのだろう。また、ちょっと風変わりな所があった親父はその尾ビレを乾燥させて紙に貼り、絵が上手だった友人に尾ビレ以外を描いてもらい、部屋に飾った。


そして40年近く経ってもその尾ビレはまだ半分くらい残っている。


当時、私が連れていってもらえるような所にニジマスが釣れる場所はなく、日々その絵を眺めては頭の中でファンタジーをふくらませていた。


魚類図鑑や当時まだあんまりなかった釣り雑誌を読んで、また親父の釣り道具をこっそりいじくり回してはまだ見ぬこの北米原産のファイターのことを夢見た。


そうだ。この記憶があるから、こんなにレインボーに惹かれるんだ。


心の原風景。


正月の思いがけない収穫だった。

明けて1月7日。正月休みの最終日、どうしても冬枯れの景色とニジマスが見たくなって1人県奥に車を走らせた。


ここ宮崎の冬は、全国からプロ野球やJリーグなどプロスポーツのチームがキャンプに訪れるくらい冬晴れが続き、カラッカラに乾く。雪なんてほとんど降らない。


だから、冬の趣は北国のそれとはきっと違って、シンと冷えた空気の中でも陽射しが暖かく穏やかに降り注ぐうららかなものだ。


乾いた、冷たい空気が鼻孔を満たし、枯れ草の豊かな香りを感じ、透き通った冬晴れの空を見上げると、どこか懐かしいような、切ないような心持ちがする。

これも正月の風物詩。幼い頃からこの季節の、この感興が一年の中でも特に好きだった。

ニジマスはここの漁協が11月に放流し、釣り人に開放している。


ただ、この川は鮎釣り場としても全国的に有名で、放流したニジマスがそのまま成長してしまうとマズいのか、キャッチアンドリリースは11月だけで、その後はキープしてください、とある。


キープをお願いされるというのはトラウトアングラーとして何とも複雑な心境になるけれど、これもやむを得ない。地元には地元の考えというものがあるのだろう。(私は仮に釣れたとしてもリリースするつもりだったが。)


多分魚はほとんど残っていないことは分かっていた。半分散歩みたいな釣りになるかもしれない。それでもこの季節、冬枯れの川でキャストするだけでも良かった。


案の定、魚はいない。徹底的にいない。スッ、カラ、カンだった。


フィールドで私以外にフライフィッシャーを3人見かけて、その内2人に話しかけたのだけど、全く同じ感想だった。


放流箇所から2㎞前後歩いて、やっと足元からフッと20㎝くらいのチビちゃんが1匹現れる。ここまで相当釣り人にいじめられてきたのだろう。私の姿を見るなり、大あわてでピューと深みへすっ飛んで消えた。


もしかして、と思い、その大場所の流れ込み部分を岩陰からそうっと覗くと、


いた。


約1,500匹の内、最後の生き残りだろうか、大体2~30匹くらいのスクールが肩を寄せ合って泳いでいる。


このポイントから上流はしばらくの間ほとんど水がない。きっとこの日最初にして最後の遊び場だろう。


岩陰に身をひそめて、スプーンをキャストする。


表層をアップクロスで、レンジを変えて、流れの筋をナチュラルにドリフトさせて、スプーンのカラーを変えて、重さを変えて。


もう多分キラキラしたものがほとほと嫌になっているのだろう。ノロノロとチェイスはするが10㎝以内には詰めてこない。


それでも手を変え品を変え、その内、やっと「コン」と軽くフックをかじった個体がいたが、「違う!!」と思ったのか、バイトした直後ものすごいスピードで逃げていくのが丸見えだった。


イワナ釣りじゃ無類の強さを発揮するサトウオリジナルのアンサー3gもここのニジマスにはさすがに苦戦を強いられる。


ついに、自然渓流じゃほぼ使うことなんてない1.5gのスプーンまで繰り出す。


ブランクなんてこの薄さだ。


ゆっくり、ゆっくりドリフトさせながらプルップルッと尻を振るスプーンと、我関せずゆっくりとクルーズするニジマスたちを眺めていた。


もう釣れないのは分かっていたけど、まともな管理釣り場がないこの地域でニジマスがどんなタイミングでルアーに興味を持つのか、チェイスの方向は、カラーの好みなどを久しぶりにじっくりと観察することが出来た。


そして何よりニジマスたちが目の前の美しい流れの中で泳いでいるというシチュエーションが楽しい。


気がつくとたった一つのポイントで、1時間以上も費やしていた。この日はここで終わり。


結局ノーフィッシュだったが、のどかなショートトリップを満喫できた。

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この絵が描かれた昭和55年頃はまだそれほどルアーフィッシングはメジャーな釣りではなかったのだろう。描かれている親父の手にはしっかりと延べ竿が握られている。


実はそもそも親父がルアーをキャストしてる所なんて見たことがない。

実はエサ釣りだったんじゃないか。息子はそう疑っている。

このフロッグ型モドキのスプーンなんかも多分持ってなかったんじゃないかなぁ。


だけど、そんなことはどうだっていい。


親父がくれたロマンをあの時の彼の年齢を追い越した今になっても、追い掛けることが出来ている。

それが私にとって何より尊いことだから。

もう車椅子に乗り、フィールドに出られない親父に、たまにはレインボートラウトを持っていってやろうと思った。

出来れば38㎝以上を。

Angler's lullaby

アングラーズララバイ ~ 釣り師の子守歌 〜