令和ミノーイング
彼みたいな偉人でなくっても、それぞれにとって人生なんてものは多かれ少なかれそんなものだろう。
そう言えば、最近ハマっている源流釣りにはまさしくこの言葉が当てはまる。
リュックにまぁまぁ重い荷物を詰め込んで、山の中、谷の底を1日軽く10㎞は歩き回るこの釣り。
一点、違うのは冒頭に書いた家康の遺訓の一節の直後に書かれてあるフレーズ。
「急ぐなかれ~」
だ。
朝は朝で早くフィールドに立ちたい一心で、前のめりのつんのめりな早歩きになり、夕は夕で迫る日没を恐れて走るように車へと急ぐ。
〆の台詞は毎回同じ。
「今日も目一杯遊んだなぁ!」
だ。
令和初釣り。5月2日の源流釣行。
ところで、このサイトを始める前は5年ほど他で今と同じように駄文を綴っていた。
そこは「スプーン専門」というコンセプトがあり、それに賛同し、協力した私も5年間くらいは魚種を問わずスプーンしか使わなかった。
何の苦しみもない遊びに本当の楽しみなんてあるはずがない。そう信じている。
古文において「遊び」という単語の意味を調べると、まず真っ先に出てくるのが、神前での歌や舞い、詩を詠むこと。今と比べるとその意味合いは随分高尚だったのかもしれない。
たかが釣りに、と言われるかもしれないが、私の中ではそんなイメージなのだ。だから、渓流や源流を歩くときは太ももの乳酸が苦々しく充満するまで歩きたいし、出会ってくれた渓魚はなるべく美しくその記録を残したい。
そしてたまには空を見上げて山の木々の息吹を胸一杯に吸い込み、神を感じたい。
あの時自分自身に課した課題を、もう一度挑戦するために。
そして何より、こんな風変わりな人間に付き合ってくれる友人たちがいることに、私は深く感謝せねばならないだろう。
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