When I Fall in Love
Youtubeでボブの ”When I Fall in Love" を流しながら、帰りのコンビニで買った、何となくそのネーミングが気に入った「知多」というほのかに甘い香りのするウイスキーの栓を開け、1人祝杯をあげた。
グラスの縁(ふち)から数滴吸い込み、舌の上に乗せると、ピリピリした軽い痛みが走るが、すぐにそれは口の中で蒸発し、強く、うっとりとさせられる香りが広がる。
胃袋を強くあたためてくれる感覚の中、耳に入るボブのゴツゴツとした、でも流麗で情熱的なフレージングはこの日の気分にぴったりだった。
レモンを浮かべたハイボールのような親しみやすさはないが、その酒本来の味をどっしりと、隅々まで味わえるストレート・ノー・チェイサーのような演奏。
一番のツマミは今日の思い出。
オトコノコの喜びを反芻(はんすう)できる大事な時間。
まるで私たちを待っていてくれたかのような穏やかな朝焼けを眺めつつ、その一日は始まった。
前の週の大雨で、あの川は多分一回リセットされたはずだ。もう少しすると仕事が忙しい時期になって、毎週毎週釣りに行くことは難しくなる。
こんなチャンスはあまりないだろう。どうにか今日、メモリアルを。
そんな思いがあった。
それにしても今さらだけど、毎週毎週、どんな酔狂でこんな山奥に分け入ってゆくのだろう。
車で走る林道も常に崖崩れの心配はあるし、車を停めてからも山あり谷ありのアップダウンを汗をかきながらひたすら歩いてゆく。
一歩踏み外すせば、滑落して大怪我、なんて場所も少なくない。
魚釣りを始めるまでが一苦労なのだ。
それでも道中にはこんな美しいシーンが待っていてくれたりする。
同じ美しいものでも、人が作ったそれは年月を経るにつれ朽ちてゆくのに対し、自然の美はますます深く、美しくなってゆく。
そんなことを毎回実感させられる。
渓魚に出会うこともだけど、このあまりに豊かな自然の胎内にもぐりこみ、ひたすらに美しいその景色を愛でる。
そんなことも毎週末の楽しみ。
まず、水が少ない。
先週あれだけの大雨が降ったから、さぞかしごうごうとした流れになっているのかと思っていたが、増えていたのは大水のせいか流れてきた砂利だけで、肝心の水は前回と同じくらい。
むしろ砂利がこの前まであったポイントを埋めてしまっていて、あまりいい感じがしない。
友人と2人、顔を見合わせて首をひねった。
前回あんなに甘くなめらかに水を噛んでいたミノーを操る感触がどうにも美味くない。
動くには動くし、釣れるには釣れるのだけど、どうにもイガイガ、チクチクとしたアクションが気になってしょうがない。
多分水中ではほんの数㎝の違いなんだろうけど、次第に、確実にストレスが溜まってゆく。
途中、尺を軽く超えたヤマメのチェイスに出会った。
私の中では冷静にミノーを操っているのだが、やっぱり「あと少し」のアクションが出ない。
もしかしたらつい最近人が入ったのだろうか。数回チェイスした後、そのランカーは私のミノーにクチバシの先で触れただけで、水中で大きく口を開けたままその頭を3~4回イヤイヤするように激しく、大きく左右に振った。
私の心は何故だか冷めていた。それもこれもきっとルアーアクションのせいだと思った。
イライラがピークに達した頃、友人が私に声を掛けた。
「ちょっと1回、休憩しましょう。」
「え?」
「珍しく釣りが雑になってる気がしますよ。」
「あぁ。。。そうかもね。」
岩の上に腰を落とし、リュックからジュースを出してタバコに火を灯した。
ぼんやりと新緑を眺めていると心が落ち着いてきた。
イライラした釣り人に釣られてしまうヤマメたちが段々かわいそうに思えてきた。
まぁ、いいじゃないか。こんな晴れた日にこんな美しいフィールドで遊べる。それだけでいいじゃないか。そう思い、違うミノーをスナップに付けた。
相変わらずこの谷のヤマメたちは美しく、可愛らしい。
まるで双子のように、愛くるしい顔つきをした2匹。
パーマークだって、実に多彩で1匹1匹に見入ってしまう。
うん。楽しい。ありがとう。
釣り上げる度に口の中で小さく感謝の言葉を投げかけて、元の流れに戻した。
そうして、軽い高巻きをした直後のポイント。
だいぶ川幅も狭くなり、流れは源流のたたずまいを濃くしている。
右岸にそり立った岩盤帯が20mくらい続くポイント、私は少しでもターンを決めようと左岸に立ち、ヤマメの付き場と思われる箇所でアクションのピークを演出出来るようにする。
狭い川幅、U字のターンはとても無理だ。ならばゆるやかな”J”の字でもいい。そう思った。
アンダーハンドでキャスト。思い通りの所に着水した。ラインスラックを取るように軽くジャーク、その後トゥイッチを1回、2回、3回。
ミノーのきらめきの背後に向かって、岩盤のエグレからスッと影が飛び出す。デカい。
落ち着いて喰わせのアクションを入れる。その影は何の警戒心もなく、ミノーのきらめきに覆い被さった。
直後、ヤマメのローリングが新緑の映る水をかき回し、きらめきは水中で爆発するように拡がった。美しい光景だった。
「チリッ!チリッ!チリッ!チリッ!」
4回、ドラグが鳴った。その度にPEラインはリールから10㎝くらいずつ逆流した。
フッキングを確認した。よし、大丈夫だ。
ネットを抜き、水際に寄っていった。
浅瀬に横たえ、下流から歩み寄る友人を待つ。
「やりましたね!」
「うん!」
パーマークがドーナツ状になり、真ん中に朱を覗かせる珍しい模様。
メジャーをあてる。
「うーん。。。」
「審議ですね。」
「いいよ。測って。」
この友人は寸法に厳しい。2回ほど前の釣行で釣ったランカーは、29.3㎝で尺には届かなかった。
「・・・30.3㎝ですね!」
1尺とは正確に言うと30.303㎝。若干微妙だけど、今季の初尺物に認定してもらえた。
正直昨年まで、ニジマスやイワナと比べてヤマメは苦手科目だった。
この魚特有のジグザグチェイスは私のスプーンをことごとく見切っていった。
そんな中、短期間ではあったが、試行錯誤した結果のこの1匹。
冒頭書いたが、うれしくて小躍りする、というよりは安堵のため息が漏れるような感動だった。
ギリギリの大台だったが、一区切りの出会いになった。
最近、いい年になったせいか、昔に比べて素直に感謝の言葉を言えるようになったと思う。
この日のこの出会いも、この友人が快く私と同行してくれたから、あった。
感謝の意味を込めてこの1匹を釣った後はなるべく彼に先行してもらった。
友人にだけではない。やっぱりこの感興をくれる大自然に何より感謝の念を抱く。
この自然に抱かれる感覚を知って良かった。
帰り際、車を降りて、ふと思い出した。
「お。そう言えばアレがあったな。もういいだろ。吸おうぜ。」
車のダッシュボードの底をゴソゴソとあさるとそれは出てきた。おそらくは2年前、彼が私に記念となるヤマメを釣った時にとくれた葉巻だった。
シガーカッターなんて洒落たものはない。ラインシザースで真ん中から2つに切った。そして半分ずつ口にくわえて、お互いにジッポで火を付けた。
ボソボソとした葉巻は口の中に葉の欠片を落とす。それをプッと吐き出しながら煙を味わった。
「美味いなぁ。」
「僕は苦いですね。」
「次はアンタに葉巻買ってあげるよ。」
こんな会話を交わして、それぞれの日常へと戻った。
何回かリピートして聴くボブのブロウ。酒はだいぶまわっていた。
When I Fall in Love.かぁ。
山に恋して、鱒を愛す。まだまだこの愛憎劇の終わりは見えそうにない。
次の素晴らしい出会いを求めて。身体が動く限りはこの釣りを続けてゆこうと思う。
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