Metro

「なぁ、さすがにこの天気はヤバいよな。」

「ゴウゴウ吹き荒れてますね。」

6月上旬某日。まだ朝暗い時間帯。

梅雨前線の真下を友人と2人で渓流に向かう。

携帯の雨雲レーダーは危険な色を示していたが、多分どうにか何とかなるだろうと思っていた。

助手席で再び携帯を見ながら、

「ほら、山の方ではそんなに降ってないよ。大丈夫。大丈夫。」

と都合の良い情報だけをピックアップして伝える。

「…こんな日に釣りなんか行くの、俺たちだけじゃないですかね…。」

彼は私と違って現実主義者だ。


街中を過ぎ、山の方に向かうと、確かに風は収まってきた。

雨も小降りになってきて、何となく心に希望が芽生えてくる。

しかし、だった。

ポイントに着き、川を覗き込む。

「…カフェオレが流れてるね。」

「これはダメなやつですね。」

移動する。しかし濁流は変わらない。

また移動。

「ここは笹濁りレベルじゃない?」

「…しっかりしてくださいよ。無理です。」

そんなこんなしているとまた雨足が強くなってきた。

水が少なくなる辺りまで来てもあまり状況は変わらない。

2人であれこれ悩んだ末、大きく峠を越え、別の水系に行くことにした。


ここまで既に4時間以上経過している。

想定外のロングドライブだった。

峠のてっぺんに見晴らしの良い場所を見つけ、車を停めた。さっきまで車でウロウロしていた谷底からまるで龍のように雲が湧き上がっている。

そして、はるか遠く、深く曇った東の空を眺めていると、ある感興が私の心に去来してきた。


峠を越えると天気は一転して、空には鮮やかな水色が流れていた。

雨上がりの青は目が吸い込まれるほど美しい。

魚釣りに来たのか、ドライブに来たのか分からないような時間、友人ととりとめもない話しをしながらも、私は関東で過ごした若い頃を思い出していた。

18歳で大学に入ってからちょうど10年、埼玉に住んでいた。新宿までは電車で40分くらいの場所だった。

うっすらと汗ばむような初夏の陽気のせいなのか、こんな山奥なのにあの頃のメトロポリスの残像が次々と私の心に蘇ってくる。

こんなこと友人に話してもしようがないので、遊びでシャッターを切りながら、思い出にふけることにする。

大体、平成の初めの頃の大学生なんて、今とは違っていい加減なもので、特に文系だった私のそれは、決して人にいばれるようなものではなかった。

それでも、青春時代と呼べるのはやはりその頃。

心にあるセピア色の写真たちには甘いもの、苦いもの、酸っぱいもの、毒辛いもの、持てる全ての味覚で表現しても足りないくらいたくさんある。

もうあの都会で暮らしたいとは思わないが、たまにこんな風に思い出すのも悪くない。


窓を開けながら車を走らせると、アスファルトから蒸発する濃密な雨の香りが車内に溶け込んでくる。

それは、東京の地下鉄の、あの窒素酸化物と人々の体臭が入り混じった懐かしい匂いをオーバーラップさせた。


友人の車に同乗させてもらってる身。

ワガママは言わなかったが、心に流れるBGMは、90sど真ん中の頃大好きだったアシッドジャズ。

インコグニート、ブランニューヘビーズ、ジャミロクワイ、オリジナルラブ…。

ほんのひと時のタイムトリップだった。


そして、やっとこさたどり着いた少しマシな水色をした支流。

それでもまあまあ水圧は強い。

降り続いた雨が山を降りてきたのか、本流はカフェオレを通り越してコーヒー牛乳と化し、濁流がどうどうととぐろをまいていた。


「竿出せるだけでもマシだね。」

そう言って流れに足をとられそうになりながら、遡行していると、

「コレ見てください!!」

と友人が小さいヤマメを目の前に差し出してくる。


今季、すっかり原種ならぬ珍種ハンターと化した彼の手元には、ハート型のパーマークをした灰色のヤマメがいた。


「なんだコレー⁈」

「さっき見せようと思って逃げられたのも同じ模様だったんですよ。」

何と、2匹目だったらしい。


正直、原種とかどうとかはどうでも良くって、何だか微笑ましい気持ちにさせてくれる。そんな出会いだった。


最近、いつもこのサイトを見てくれている人から声を掛けられた。

ちなみにその人、トラウトフィッシングはまだ未経験。そして私とほぼ同い年。

「何だか読んでると、あの頃のホットドッグプレスとかを思い出すんですよね。」

随分懐かしい雑誌の名前が出てきた。釣りをしない人だからこその例えに思わず笑ってしまった。


そして、また別の日、その人が会社のプロト商品で持ってきてくれたのがサイトの刺繍の入ったネームタグ。

何だか照れくさかったけど、同年代からの嬉しい贈り物だった。


それぞれの時代に、それぞれの青春があって、時々それを振り返って。

もしかして私にとってのそれは、あの頃の地下鉄の香りなのかもしれない。

Angler's lullaby

アングラーズララバイ ~ 釣り師の子守歌 〜